『史記』現代語訳:五帝本紀・顓頊

『史記』原文

帝顓頊高陽者,黃帝之孫而昌意之子也。靜淵以有謀,疏通而知事;養材以任地,載時以象天,依鬼神以制義,治氣以教化,絜誠以祭祀。北至于幽陵,南至于交阯,西至于流沙,東至于蟠木。動靜之物,大小之神,日月所照,莫不砥屬。帝顓頊生子曰窮蟬。顓頊崩,而玄囂之孫高辛立,是為帝嚳。

『史記』書き下し

帝顓頊(センギョク)高陽は、黄帝の孫にして昌意の子なり。静淵にして以て謀有り。疏通にして事を知る。材を養い以て地に任じ、時に載(おこな)い以て天を象(かた)どり、鬼神に依り以て義を制し、気を治め以て教化し、潔誠にして以て祭祀す。北は幽陵に至り、南は交趾に至り、西は流沙に至り、東は蟠木(ハンボク)に至る。動静の物、小大の神、日月の照らす所、砥属(シゾク)せざるは莫し。帝顓頊、子を生みて窮蝉と曰う。顓頊崩ず。而して玄囂の孫高辛立つ。是を帝嚳(コク)と為す。

『史記』現代日本語訳

帝顓頊(センギョク)高陽は、黄帝の孫で昌意の子である。人柄は静かで奥深く、しかもはかりごとに長けていた。物事によく通じ、事情を知っていた。人材を養って土地を与え、時期に従って行動し天を行動の模範とした。精霊・亡霊の教えに従って正義を定め、五行の気を整えて民衆を教えて躾け、清い心で誠実に祭祀を執り行った。

北は幽陵(河北省)に行き、南は交趾(南嶺山脈の南)に行き、西は流沙(タクラマカン砂漠?)に行き、東は蟠木(ハンボク、東海に浮かぶ島)に行った。鳥獣草木、小大の山河の神をはじめ、日月の照らす所に顓頊に従わない者はなかった。帝顓頊は子を生んで、窮蝉(キュウゼン)と呼んだ。

顓頊が崩御した。玄囂(ゲンゴウ)の孫の高辛が跡を継いだ。これを帝嚳(コク)という。

『史記』訳注

なし

『史記』付記

思案中

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)